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共に生きる

共に生きる

~父よ殺すな~
 
梅谷明子(大柳生牧場作業所)

はじめに

 2003年5月16日、毎日新聞朝刊社会面の大見出し「同情します」が飛び込んできた。文面は、自閉症の長男を殺害した父親に対する判決文で、父に対して の同情一色に包まれていた。他紙(朝日・サンケイ)は淡々とした記事である。この大見出しは何を伝えようとしているのか、不可解きわまりない。まずこれ は、書いた人に尋ねてみることにしよう。
 

何故?何故?何でやー

 私の叫びは刑の軽量に対するものではない。殺された「14歳の長男」に対する痛恨である。さすがIT社会、新聞で入手した名前を検索してみると、出るわ、 出るわ、関係資料を印字してみるとA4・三十枚ほどになる。(判決後、減刑嘆願運動、判決前含む)なんとそこには「運動が実った」とバンザイを連呼してい るではないか。当事者(父親)は本当にそれが嬉しいのか?バンザイなのか?私には思えない。
尚司が14歳のころ(今、40歳である)、彼の父(私の元夫)は、何年続くかわからない連日連夜の厳しさに万策尽きて、ある夜、私に言った。
「俺が尚司を殺しても減刑運動だけはするな」と。当時の記録を探し出し、読み返して、涙が止まらなかった。14歳の少年の顔を知らないだけ、尚司の顔が濃くオーバーラップする。暗くて重くて長い一夜だったと記憶している。
やがて私たちは別れを選択することで、尚司の命の重さを計った。背景に私と仲間を信頼してくれたこと、何よりも尚司に対する強い愛の型であったと私は判 断し、今もそう信じている。「父親としての責任」として他の選択肢はあったが、それはあまりにも残酷だった。以降、9500日の言葉では言い表せない喜怒 哀楽と同じ数の優しさに遭遇し、今、私たちは生きている。
莫大な費用と労力と痛みを伴ったのはいうまでもない。私は、いや私たちは尚司によって変えられたし、尚司自身も変わった。尚司の「障害」が治ったのでも消えたのでもない。
 

障害者をとりまく現状

 国内外における障害当事者運動、反差別国際連帯の高揚を受け、世界の流れとしての「国連障害者の十年」「人権教育のための国連十年」etc。今、国連では障害者の権利条約の制定に向け、動きが活発化している。
国内においても、障害者基本法―今見直し作業着手、数々の法整備がなされ、さらに障害者差別禁止法の制定を求める運動も本格化している。
地域福祉が掲げられて久しい。施設ではなく地域で共に生きていくための施設は遅きに失する感はあるものの具体的に整備されつつある。
 

おわりに

 防ぐ手立てはないのだろうか。原点に戻ってみることが大切である。地域で孤立しない、させないために何があるのだろうか。相談活動、訪問活動のネットワー ク化もある。プライバシー保護に注意しながら情報公開を求めていき、何より従来からの縦割り行政を根底から覆す取り組みが必要となるだろう。
そして身近な仲間をつくることが大切だ。たとえば①隣近所、親戚、友人はお節介をする。受け入れる。②所属する組織がある場合、それが単なる親睦団体に なっていないか見極める(会報を読む、会議・総会に出る)③所属する学校・園は家庭訪問し、実態を把握し、必要と認められる場合は報告するなど。まず当事 者(家族)自分(家庭)を開放・解放しよう。このことは、単に障害者問題に限らないことは言うまでもない。
家庭崩壊寸前の折、適切な相談所を探せないとき、自分の駆け込み寺的な場所・仲間をつくることが平素から求められている。共に生きようではありませんか。
私たちは、言葉と行動を一つにして「共生と人権」を考えるシンポジュウム「何が『障害者』と『共に生きる』ことを妨げているなか?」を開催した。今回の 事件の「父親」を裁くためではなく、その父親と一緒に「障害者を殺さないですむ」関係を考えるために。多くの人たちから「生きる知恵と力を借りる」ため に。少なくとも地域社会で「障害者」と共に生きる家族に対して「殺させる側」として関わるような関係を、もうこれ以上続かせないようにするために。(シン ポジュウムの全記録を収録した冊子を三月出版予定、予約をうけつけています)
 
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